はじめまして、奈良県天理市で「お大師さん」の3代目管理人を務める冬木と申します。この「お大師さん」は俗名ではなく、古くからこの名で呼ばれてきた正式なお名前です。初代、2代目の管理人を務めてきた方々からこの「お大師さん」のお名前も受け継ぎ、今もその名で信徒の皆さんからも親しまれています。
三重県伊賀市上野西町で「お大師さん」と出会う
この「お大師さん」はもともと、三重県伊賀市上野西町にありました。この地元で生活をしていた初代管理人は野菜売りの仕事をしていて、日々の食べるものにも困るほど苦労をしていたそうです。そんな生活を送っていたある日、神様から発せられたような声が聞こえ、それは「石の神様を持ち帰り、それを祀るように」という啓示でした。これが、「お大師さん」との出会いです。今から、70年ほど前の出来事です。
上野西町にてお祀りされるようになった「お大師さん」は地元の多くの人たちに親しまれ、信仰を集めていました。毎月3日はその「神様」が初代の管理人に乗り移り、30分ほどお話をされます。信徒の皆さんもその日は「お大師さん」のもとに集まり、そのメッセージに耳を傾けていたのでした。
その後、初代管理人の娘さんが2代目の管理人となり、「お大師さん」の管理が引き継がれました。
阪神淡路大震災の直前にも警告が
1995年(平成7年)1月17日は、阪神淡路大震災が発生した日です。新年の1月1日には一部の信徒が集まる行事があるのですが、この年も例年のように信徒が集まり「お大師さん」の話に耳を傾けました。すると「西に行くな、真っ赤に燃える、道が倒れる」というメッセージが発せられ、それは三重県伊賀市から見た西、つまり神戸方面に注意せよとの警告だったのです。その17日後にその警告が現実のものとなり、多くの信徒は「お大師さん」の警告の正確性に改めて驚かされました。
3代目、冬木が管理人となる
2代目の管理人を務めた娘さんが病で他界し、その後はお孫さんが「お大師さん」を引き継ぐものを思われていましたが、本人の意向もあってそれを固辞。その後10年間、上野西町の家の門は閉ざされ、信徒の人たちも「お大師さん」に会えない日々が続きました。
このままでは多くの信徒の人たちの気持ちに応えることができないことや、私自身も「お大師さん」にお会いする機会が持てないということで、皆さまからの推薦もあって3代目の管理人に就任をしました。これにより、「お大師さん」は奈良県天理市に移され、再びお祀りをすることとなりました。10年ぶりに、信徒の皆さんも「お大師さん」に自由にお参りができるようになったのです。
いつでもお気軽にお問い合わせ、ご相談、お越しをお待ちしております。皆様もぜひ、「お大師さん」と対面し、「お大師さん」の声に耳を傾けてみてください。今あるお悩みや問題を解決する大きな転機になるかもしれません。